2020年10月、著名人の自殺報道が重なっていた時に、私は【ゲートキーパー】という言葉を知った。
「ゲートキーパー」になるのに特別資格は無く、“誰もがなれる“私はそこに大きな衝撃を受けました。
当時、その事を誰に聞いても、わからないと言われました。
多くの方にその言葉と意義を知ってほしいと思います。だからこそ、長編映画のテーマに選びました。
そこからは怒涛の2年間、もがき苦しみその中で様々な人に助けて頂き、作品を完成させられた事に感謝しています。
初の長編映画かつ主演での参加だったため無事に撮り終えるか不安な部分もありましたが、チームメンバーが優しく見守りプロの仕事で各部署支えてくれたので、大きなトラブルなく撮り終えることができました。
本作は、自殺を図るシーンなどがあり、非常に難しく細かな表現もありましたが、緊迫感など伝われば嬉しいですし、ぶっきらぼうな男が、ひとりの少女と出会うことで、どのような心境の変化を迎え、変わっていくのかを楽しんで頂ければ幸いです。
今までもさまざまな役に挑戦してきましたが、そのなかでも特に葛藤し沢山悩みながら作り上げた役になりました。撮影期間を思い出そうとしてみても、記憶が途切れ途切れなのですが、それ程、無我夢中で紗耶という役に向き合えたと思います。
完成した映画を皆さんがどのように受け取ってくださるのかという期待と不安で頭がいっぱいですが、見終わった後にはありふれた日常や身近にいる人たちを大切にしたいと思えるような作品になっていると思います。
鉄砲なんか持ったこともなく、薪割り経験さえない私が猟師の役をやらせてもらった。鹿肉の解体場面、罠にかかって殺処分されたばかりの生温かい鹿の背中に大きなナイフを差し込んだ時、思いのほか柔らかな肉の感触が私の心を総毛立たせた。私もまたこの鹿の命を奪ったのだという気がした。
この映画では大事なものを喪って自分の命を奪おうとする人間たちに焦点が当たる。翻って食とは生きることの証だ。生き物の命を奪ってさえ人間は生きる。さあ、彼らにとって食は何をもたらすのかを考えさせられる物語が生まれたなと思う。もちろん私は生きる方を選びたい。
自分が演じさせて貰ったのは、モンスターの様な父親。
あり得ない父親、あり得ない家族、けれど、自分の周りでは起こっていないと
思っているだけで、日々ニュースで流れる虐待死した子供達、
家庭内暴力により亡くなる人達、自殺する人。
もしかしたら毎日会う人達の中にもそういう人がいるのかも知れない。
そういうリアリズムを持って観ていただけたらと思います。
そして、こんな時代に今、自分に何が出来るのか、
フトした時に考えて貰える作品になっていたら幸いです。
少し勇気のいる役でした。
でも、穏やかで優しい現場や完成した映像に背中を押されるようにまた一つ参加して良かった作品が増えました。ありがたいです。
この映画が「明日なんて来なければいい。」
「あーもう全部消えてしまえばいい。」そう思った誰かの心を、一匙のスープのように温めることが出来ればとても嬉しく思います。
幸せな家族を突如襲った愛する娘の死。今回、私はその娘の母親役として携わらせていただきましたが、心が押し潰されてしまいそうになるほど、重く苦しい時間でした。あまりにも不条理な現実にやり切れない思いを抱えながらも、亡くした娘のためにも前を向いて生きていくという強い意志や覚悟が必要な役でした。いざ本番になると、根底に眠っていたそれまでの複雑な思いまで予測なく溢れてきてしまう場面もあり、役を通して命の重みや誰かの力になるということを改めて考えさせられる作品となりました。
コロナウィルスの影響で、人と人との繋がりがより希薄になってしまって、普段以上に深刻に、生きづらさや孤独感を感じる方が沢山いらっしゃると思います。
そんな中で、ゆっくりと考える時間をくれるような作品だと思っています。
観てくださった方々が、観終わった後に、観る前よりも少しでも気持ちが楽になっていたら幸いでございます。
海斗役を演じさせて頂きました染谷俊之です。
本当に森の中で撮影させて頂き、都会の喧騒を忘れて、非日常を味わう事ができました。
生きていく上で、人それぞれの悩みを抱えていたり悲しい出来事があったり、感じる度合いも人それぞれで、その痛みは本人にしか分からないもの。
誰にも言えない傷を癒してくれる、こんな森の中のレストランが本当にあったらいいなと思いました。
劇場でぜひご覧ください。